東京の北の端、荒川と新河岸川に挟まれた街、浮間。
老朽化が進み、一部で立て替えも始まっている団地の一角に、ここが良いねと住むことを決めたのは、取り残されたような古さが、僕ら二人にぴったりな気がしたからでした。
僕らが結婚したのは四十歳をすぎてからでした。
僕は初めて、彼女は二度目。
それまで長く独りで生きて来た僕にはあらゆることが新鮮で、でも懐かしくて、暮らしとはこういうものかと実感する日々です。
晴れた日には二人で、カメラだけ持って、うきまを歩きます。
団地のまわりには住人たちが思い思いに植えた花々があり、花の名前を彼女が教えてくれます。
そんな団地も建て替えが進んで、風景は少しずつ変化していき、ふたりが好きだった手作りのパン屋さんも店を閉めました。
あるとき喧嘩をして、仲直りをしたあと彼女が僕に言いました。
「あなたはまだ、本当に大事なものを失ったことがないのよ。」
窓の外には川を渡る、貨物船のエンジンの音が聞こえていました。
うきまの暮らしにぴったりの古い写真機で
僕が大事にしているものをひとつひとつ拾い集めてみようと思ったのです。
-本田光
edition 500
著 author:本田光 Hikaru Honda 出版社 publisher:Case Publishing 2025 hardcover 275 × 210mm 112p
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